2023年1月19日木曜日

DJイオ君の事

誰かに読ませたくて書いたわけでなく

自分の気持ちを整理するためのやつ。


昨日イオ君が死んだのをネットで知った。

https://twitter.com/__LBT__/status/1615333248028090370

しんどかったので早めに布団に逃げたんだけどそこで夢を見た。

イオ君の葬式。

みんな喪服を着てるちゃんとした葬式。

でも最後に坊主が「故人のレコードを使ってDJをする」

という事でパーティーがはじまった。

作り話みたいだけど本当に見た夢。

二度寝したらまた夢を見たんだけど

今度はみんな私服のイオ君のお別れ会の夢だった。

起きて時計を見たら8:08だった。

これも作り話みたいだけど本当の話。


死んだ人が夢に出てくる話はよくあるけど

葬式の夢で本人が出てこないなんて。

夢の中でも再会できないのかよ。


1月14日に大阪でイオ君が主催するクラブイベントがあって

最初は「行きたいなー」ぐらいだったんだけど

こんな時代だから

「会える人には会える時に会っておかないと」

という気持ちが強く沸いてきて

いろいろ調整して大阪へ行った。

大阪に着いてしばらくした頃に

イオ君が大阪に来れなくてイベントが中止となり

代替イベントになると告知があった。

そのイベントに行って「イオ君どうしたの?」と

出演者に聞いたけど口を濁らせた事と

Twitterで本人からの発信が無かった事から

さすがに「これは何か大変な事があったな」と気付いていたけど

何らかの発信があるのを待つ事にした。

ぶっちゃけこういう展開も頭の中にあったし

気にはなかったが

イオ君がひょっこり「大阪行けなくてすみませんでした」て

Twitterを更新するのを待っていた。

すると17日の夜に訃報がネットに掲載された。


イオ君をはじめて見たのは

「バードマン」名義(?)とかで

お面を被ってたり羽をつけていた時だと思う。

「かっこつけてるのか笑いを取りにいっているのか

目立ちたいだけなのかよくわかんないな」

みたいな印象で音楽的には当時の自分にはピンと来てなかった。


そのうちおそらく急行さんを通じて

一緒に飲んでたりするうちに仲良くなっていったんだけど

お互いが東京に住んでいた時代は

何か決定的に仲良くなったエピソードみたいなのは

思い出せない。

単純に"波長が合った"みたいな感じだったと思う。


イオ君が東京から実家の茨城に引っ越す時に

「欲しいレコードがあったら持ってって」

みたいな企画をやってて

その時に家に招かれる関係性があるぐらいは仲が良かった。

余談だがこの時

レコードは奇麗に整理されているわけではなかったので

欲しいレコードを見つけたら

イオ君に「これ持ってっていい?」と聞いて

「それは残すので駄目です」と言われたら残すルールだった。

何枚かNGを食らってるうちに

「それもDieさん選んでました」

というのが何回かあったのが面白かった。

俺より何倍も凄い音楽マニアのDieちゃんと

複数枚被った事がなんか嬉しかった。


決定的に「仲良くなった」と言えるのは

俺が2013年末頃から急激にポケモンにハマった事からだと思う。

知っての通りポケモンと言えばイオ君だったので

いろいろ教えてもらったり通信交換を手伝ってもらったりした。

ほぼ直接ではなくSNSやLINEを通じてだけど

ポケモンの事でよくやり取りをした。


絶対に忘れない思い出として

お互い実家に戻った後に

東京で2人ですごした一夜があって

そこで約束した事はイオ君が死んでしまったので

一生はたせなくなってしまった。

(どういう話かは秘密)

俺の中ではこの日以来イオ君は

「弟みたいな存在」として

普通の友達以上の存在になった。


俺がイオ君の実家の茨城に車で遊びに行った事があったが

その時イオ君が体調不良になり

長時間運転して家に行ったけど

ちょっとしゃべってすぐ帰ることになった。

それでも今となっては

「実家に行った」という事自体が

良い思い出にはなっている。


俺がYouTubeで『YUMIKO』のライブ動画を見つけた事で

イオ君がこの曲の

ブートコンピレーションを作ったのも印象深い。

http://blog.livedoor.jp/djio/archives/52370393.html

https://lbtweb.bandcamp.com/album/yumiko-2015


最後にやり取りしたのは1月12日で

イオ君からDMが来てポケモンの通信進化を手伝ったんだけど

それでイオ君の『スカーレット・バイオレット』の

ポケモン図鑑が完成したと喜んでいた。

多分だけどイオ君の人生で最後のポケモン交換じゃないかな。

あの時は行って来いで

イオ君が親のポケモンは手元にないんだけど

今にして思えば何かもらっておけば良かった。


「イオ君が親のポケモンがあったはず」と

ポケモンHOMEで確認したら

シールドのメインアカウントのBOX1に入ってた。

そうだ昨年『スカーレット・バイオレット』でが出る前ぐらいに

ポケモンGOでしか手に入らないメルメタルをあげたんだった。

その時は「なんでもいいからいらないポケモン送って」

って言ったらこのヌメラが来たんだ。

このヌメラを進化させるかどうかはちょっと考えるけど

パルデアのDLCコンテンツに連れて行くし

第10世代もその先の世代もずっと連れて行こうと思う。


イオ君の好きなポケモンといえばヌメラと並んでノコッチがいて

ずっと「ノコッチ進化しないかな?」と言ってて

俺は「ノコッチの進化はありえない」て言ってたんだけど

最新作の『スカーレット・バイオレット』で

ついにノコッチがノココッチに進化して喜んでいた。

ノココッチを対戦で活躍させたかったんじゃないかな?

レート少しやってたみたいだけど

どういう構築だったんだろう?


イオ君との思い出は次から次へと沸いてくる。

『Sampling Roads』の感想で

ネットを通じてではなく

直接言いたいと思っていた事も言えずじまいだし

『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』で

対戦しようってのも結局1度も対戦できてないし

何より東京でやる予定の結婚パーティーに

絶対来るって言ってくれたのに来れなくなってる。

いろいろとイオ君の事を思い出せば思い出すほど

「死んでんじゃねぇよ!」て思うんだけど

もうどうしようもないんだよね。

イオ君に直接言う事はできないんだよね。


https://www.mixcloud.com/lbtdjio/100-old-school-nerdcore/

https://www.lbt-web.com/sr/

これをBGMに頭の中の事を文章にしたら少しは落ち着いた。

とにかくイオ君はあの日の約束破ったけど

俺だけでもあの日の言った事は達成するから。

イオ君のことはずっと忘れない。

2013年8月18日日曜日

『たらば青春の光』という名前について

今日からブログをはじめる事にしました。
『世界のPK』あらため『たらば青春の光』です。
リアルで会った時は『たらば』と呼んでください。
(もちろん本名でもかまいません)

《改名の経緯》
元々イベントに出演する時などは
『世界のPK(せかいのぴーけー)』と名乗っていて
『PK(ぴーけー)』と呼ばれていました。
とはいえ、それほど思い入れのある芸名(?)でもなく、
なんとなく浸透した呼び名をそのまま使っていました。

『コアチョコTシャツデスマッチ』という
レギュラーで参加させてもらっているイベントの司会の
『プチ鹿島』さんが、通称『PK(ぴーけー)』と呼ばれていて、
「"PK"が被る」というのは前々から言われていました。
その鹿島さんが、やっとその才能が世に認められ
売れてきて事で、実際に、
「ラジオで、マキタスポーツさんがPKさんの事をしゃべっていたよ」
という報告を自分に受けた事もあり、
うすらぼんやりと改名を考えていた所、
『コアチョコTシャツデスマッチ』の主催者である
MUNEさんから、改名を要請され、
3月31日の『コアチョコTシャツデスマッチ』打ち上げにて、
改名会議が行われました。

MUNEさんが、
「福井出身なんだから福井名物の蟹にちなんだ名前がいい」
というのをやたら推して、
『越前蟹之助』とかいろんな"蟹"に入った案を出すのですが
『コアチョコTシャツデスマッチ』のレギュラーに
『かに三匹』さんという人がいるので
「PKが被るって事で改名するのに『かに三匹』さんと被るから、
 蟹の付く名前はやめましょうよ」
と言って、その辺は却下し続けました。
酒が入っている事もあって、
MUNEさんは蟹の入った名前ばかりを提案して、
とにかく蟹推しは譲れないらしく難航。
そんな中、プチ鹿島さんが
「『たらば青春の光』ってのは?」
と言ったのをMUNEさんが気に入り、
半ば強制的に決定しました。

「被るから改名」という背景があるので、
『たらば青春の光』をグーグルで検索した所、
ダジャレとして使っているのが数件見つかっただけで、
芸名やハンドルネーム、サイト名などで
使っているのは無いようなので、
その問題は完全にクリアされていると見ていいでしょう。

さすがに『たらば』という名義を使っている人は
ネット上でいる物の、
こちらは『たらば青春の光』がフルネームという事で。

という事で、改名に至る流れを記した所で、
本日2013年8月18日より『たらば青春の光』を名乗らせていただきます。